はじめて、お茶をたててみる

Kana note

昨年より通いはじめているお茶のお稽古。
ずっと興味はあったのですが、敷居が高くてなかなか手が出せないなと思っていたところ、
テーブルで気軽に始められる、ということで重い腰を上げてやっと一歩。

お茶といえば千利休かな〜くらいの知識しかありませんが
とにかく、不思議な世界だなと常々思っていて。

だって、お茶をいただくだけで、えらく大層じゃない?
お茶飲むだけよ、しかも、お茶よ?
その行為が日本文化として今も受け継がれているって、いったい何があるんだろう?
何が人を惹き付けてきたんだろう?
礼儀作法や点前、空間の設え、道具…
お茶の世界を包む全てにおいて、何をどうデザインされているんだろう、と。

さて。
実際にお稽古にいくとテーブルのお茶だから気軽、といえど、それなりの作法も教えてもらいますが…
まあ、スマートにいかない。
背筋を伸ばして、礼をして、菓子をいただき、お茶をいただく。
これだけのことでワタワタ。
ふだん持ちなれているはずのお箸なのに、おぼつかない。
心配りを身体でもって表現するって、こんなにもふだん使ってない筋肉使うのか…と、ほんのりショック。
でも、なぜか楽しい…。
そして、お茶が美味しい…。

今日の掛軸、花、器、どの取り合わせも今日ならではだし、必死で凝視するんだけど、
何をもって帰ろうとしているのか、知識か?いやもっと別の…変な感覚。
美術鑑賞ともちょっと違った感覚。

興味のあることを知るということも嬉しいけれど、
思いがけないことを知るという経験の衝撃は大きいものです。

ときはちょうど正月。
せっかくなので自宅でお茶を点ててみよう、ってことで、はじめての「お茶のじかん」。
色々と道具を揃えたいところだけど、ひとまず茶筅と抹茶のみにして、あとは家にあるもので。
和菓子は子年にちなんだ蕎麦饅頭。
令和元年の100円玉のおつりがピカピカで、
「100円もつくっとんねや〜」とお店のおじさんのギャグもひと味。
日常の中に、ちょっとだけかしこまった、だけど、ゆるゆるのお茶の「じかん」がうまれました。
これまでなかった「じかん」です。

「もてなしの“心”、礼儀や点前などの“型”、歴史やトレンドといった“知”を
バランスよく習得していくことで、じぶんの“ものさし”が生まれる。
そうすれば美意識が磨かれ、日常が変わる—。」
お稽古のいちばんはじめの日に教わったことです。

入り口の入り口に立ってみた、ってだけなんだけど、
ちょっとだけ感じています、日常が変わるという瞬間。
あたりまえだけど、じぶんで「やってみる」って、イメージを超えていきますね。

茶道の不思議、まだまだ謎だらけだけど、その欠片に少しだけ触れた気も…しないでもない…?
(どっちや)

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