ぼうけんハット

Gori note

■海辺にて

その“帽子”が砂浜に流れ着いたのは、
夏の終わりの、とある日でした。

「なんだこれ?ヘンテコな帽子だ」

ケサラ島。
昔から「笑わない国」として有名で、

きまじめで、いつも無愛想な国民性。
おかげでどこの国とも国交がなく、
どこか暗い影をおとしている、そんな島です。

そんな状況を一変させたのは、
この一つのハット帽でした。

何気なく浜辺を歩いていたムスット氏は、
やっぱり無表情に、そっと帽子を拾い上げました。

「ごみだな」

すぐに捨てようとも思ったのですが、
ちょっと魔がさしたのでしょうか、
思わず、ハット帽を頭にのせてみました。

するとどうしても次にやってみたくなるのが、
「鏡を見る」ことです。

ムスット氏は、鏡に映った自分を見て驚きました。

なんと、帽子の絵柄にあわせて、
ちょっぴりおどけている自分がいるではありませんか。

ケサラ島の島民として
隠れていたはずの「茶目っ気」が
自然にあらわれたのです。

それから毎日のように、
いろんなハット帽が浜辺に漂着しました。

ムスット氏は、毎日毎日が楽しみです。
だって帽子ひとつで、
自分がいろんなキャラクターになりきれるわけですから。
そしてそれは、とりもなおさず
「自分の新しい側面の発見」にもつながるのです。

ムスット氏はこれを「冒険ハット」と名付けました。

■海辺のテーマパーク

「冒険ハット」のうわさは、島中に広がりました。
まじめでカチコチな島民は、
お休みのたびにこの浜辺に来てはいろんな帽子を被り、
それに合わせたいろんなポーズを楽しみました。

あかんべーをしてみたり、
ちょっぴりふくれてみたり、
元気いっぱいに飛びはねてみたり。

まるでそこはテーマパークです。

いろんな帽子が、
いろんな空想の世界につれていってくれるのですから。
島民はお休みのたびに、
ここで笑顔いっぱい、マリンパーティーを楽しみました。

■帽子づくり

「ははは、またやってしまった」

一方のパサラ島では、
帽子職人のダサイ氏が苦笑いしていました。

「こんなの、売れるワケがないよね」
またひとつ、完成した帽子を海に流してしまいました。

ダサイ氏は、帽子づくりが大好きです。
でもまったく売れません。
ついつい頭の中で考えたことが、
そのまま帽子デザインにあらわれてしまうからです。

夏の楽しかった思い出。
ちょっぴりドキドキしたできごと。
楽しい友だちの、あの表情。
見たもの、聞いたもの。

そんな個人的な思いばかりデザインされているわけですから、
帽子なんか売れるはずがありません。
だから、いつもヒマ。
毎日が夏休みみたいなもの。
帽子づくりは、半分、道楽みたいな感じでしょうか。

遊ぶことだけはめきめき上手になってるけど、
仕事はちっとも繁盛する気配はありません。

■転機

そんなある日、ダサイ氏にも転機が訪れます。
となりのケサラ島から、使者が訪ねてきたのです。

「あなたですか、このハット帽を作っているのは」

ダサイ氏がうなずくと、
無表情なはずのケサラ島の使者が
満面の笑みを浮かべています。

「あなたの作ったハット帽が、毎日、ケサラ島の浜辺に流れてくるのです」
「ああ…ご迷惑でしたか」
「いやとんでもない。これらの帽子が島民の笑顔を作ってくれている」

ダサイ氏は驚きました。

「こんなに表情豊かな島民を見るのは、歴史的なできごとです。
ですが、そこは元来、きまじめな国民性。
このままタダで帽子をもらうのも気が引けます。
そこで…
今までの帽子代をお支払いするのと、
これからもお金は払いますので、
たくさん帽子をつくっていただきたいと…」

ダサイ氏はうれしくなりました。
もちろん、取り引きが成立したこともそうですが、
それ以上に「自分の作ったもので、喜んでくれる人がいる」ということに。

自分の毎日毎日の楽しかった経験が、
帽子という「もの」を通して、
ほかの人に同じような気持ちを分け与えている。

そう思うと、ダサイ氏は幸せな気もちでいっぱいになりました。

■暗雲

それからのダサイ氏が、
たいへん忙しくなってきたのは言うまでもありません。

新作のデザインに取り組み、
帽子をつくっては、発送する。
そんな毎日。

もちろん遊んでいるヒマなどありません。
くる日もくる日も「よい商品」をつくるために、
机上で悶々と考えぬく。
これで一日が終わるのでした。

毎日が苦しいです。
でも商品はどんどん洗練されてきています。

ところが…
そんな日々は、そう長くは続きません。
ケサラ島からの発注が、日に日に減ってきているのです。

「あれ…どうしたんだろう…飽きられたのかな?」

不思議に思ったダサイ氏は、
ケサラ島に視察に出かけました。

すると、どうでしょう。
笑顔を手に入れたはずの島民が、
また無愛想に逆戻りしているのです。

それはまるで、近ごろの自分の顔のように。

…自分の顔?

まあ!

自分の毎日毎日の苦しい経験が、
帽子という「もの」を通して、
ほかの人に同じような気持ちを分け与えているじゃありませんか。

【解説:自戒の念をこめて】

ボクは「ザ・日本人」で、
感情を顔に出したり、
オーバーに表現することに消極的です。

そう、ケサラ島の島民とよく似た感じです。

でも、ただひとつ。

「被り物」だけは違います。
大学の学生もたまに「被り物」の制作をしますが、
ボクがモデルになると妙に似合って、
学生にめちゃくちゃウケるのですよ。

それにボク自身もずいぶん「その気」になって、
いろんな表情やポーズを作ってしまうところを見ると、
ボクの中にある「茶目っ気」という側面を引き出してくれる、
不思議な力を感じます。

Facebookなどでは
このたぐいの写真をアップすると、
「いいね」がたくさんつきます(笑)。

これが観光地などによくある
「顔はめ看板」だとそうはいかない。
やっぱりちょっと恥ずかしくって、
表情がカチコチになってしまうから不思議です。

さて…。

ダサイ氏の帽子が急に人気がなくなったのはなぜでしょう?

それはボクは、
ダサイ氏が「ものづくり」を楽しまなくなったからだと思います。

「作りたい帽子」ではなく、
「売れる帽子を」と考えたとき、
つくり手は「こたえ」を探してしまいます。

なぜなら「作りたい」の答えは「自分の中」にありますが、
「売れるもの」の答えは「他人の中」ですから。

そうするとね、
「ボクはこんなのが面白いと思ってるんだけど、ほかの人はどうかな」
「あんなの作りたいと思ってるけど、先生に何て言われるんだろう」
みたいなことになり、
やがて人の目ばかり気にする「ものづくり」から、
あまり面白みのないものに仕上がっちゃう。

そこで、こう考えてみてはどうだろう。

「たくさんの人に“いい”と思われるものよりも、
たった一人でも、思いっきり“幸せ”と思われるものを作ろう」

理屈はあとでもいいんです。

今日、自分の作った何かが、
明日、だれかの笑顔を作るかもしれない。
そう思うだけでもワクワクしませんか?

このメルマガなんかも、そんな感じです(笑)。

そしてボクは、
ファッションこそが「作り手」と「使い手」の、
イメージのキャッチボールだと思うんですよ。

そんな目で、ぜひショップを見てみてください。
そんな思いで、ぜひ何かを作ってみてください。

(完)

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