■古城ホテルにて
午前1時。
新月のころ。
静寂につつまれた古城ホテルには、
なんとも不気味な気配が漂っています。
その日のバークレイ氏は、ひどく苛立っていました。
「なぜなんだ…。」
16世紀の古城を改装したホテルも、
はじめの人気が嘘のように、
このところ、さっぱり。
まさに閑古鳥が鳴いているかのようです。
バークレイ氏は改装に改装を重ね、
快適で、居心地のいい空間をつくってきたつもりでしたが、
そんな想いと裏腹に、
日に日に客足が遠のいていくのです。
「このままでは、古城ホテルが取り壊される…。」
と、ぎしぎしと歯を噛み、
頭を抱え込んでいました。
どのくらい静寂が続いたでしょう。
遠くの物音に気づいた、そのすぐ直後。
「キャーーーー!!」
3号室から女性の悲鳴が。
気づいたバークレイ氏は、ゆっくり立ち上がり、
「ちっ」と舌打ちをしたかと思えば、
足取り重く、のさのさと3号室の方へ向いました。
■吸血紳士、登場
「またお前か。」
3号室のドアを開いたバークレイ氏は、
開口一番、あきれたようにつぶやきました。
バークレイ氏の視線の先には、
恐れおののく若い女性。
そして…、
注射器を手に、そろりそろりと女性に近づく老人一人。
ただならぬ状況の中、
バークレイ氏は落ち着いているのか、
はたまた不機嫌なのか、面倒なのか、
やや冷ややかな面持ちで、女性客をかばいました。
「お嬢さん、別の部屋へお逃げなさい。
私がこの男を追い払いましょう。」
ほうぼうのていで逃げていく女性を横目に、
老人はやれやれという態度でベッドに座り込み、
タバコに火をつけました。
数本を残し、すっかり抜け落ちてしまった歯のすき間から、
下品にもタバコの煙をくゆらせながら。
「珍しい。お前はなぜ私を恐れないのだ。」
老人はやや不服そうに、
あるいは不思議そうに、バークレイ氏を睨みつけました。
「そりゃ、はじめは怖かったさ。
でも、7回目ともなると、話は別だ。
それに今日の私は苛立っているのだ。」
「ふん。お前は私の正体を知っておるのか。」
「ああ、もちろん承知だとも。
わが国の黒伝説、吸血鬼ブラッケンハイマーだ!」
こんなとき雷の音や、
狼の遠吠えでも聞こえればサマになるものだけど、
別の宿泊客が陽気に唄う、ヘタクソなカンツォーネが耳障りで、
つくづく吸血鬼の野暮ったさが際立ちました。
「吸血鬼ではない。吸血紳士だ。
それを知っていて恐れないとは、大した度胸だ。」
「恐れるどころか、今日はお前にもの申したいことがある。」
■バークレイ氏、直接対決
今日のバークレイ氏は熱い。
ちょっと触れると、火花が飛び散りそうな勢いです。
「結論から言おう。お前はダサい。ダサすぎる!」
思わぬセリフに、吸血鬼はことばを失いました。
それでも一旦火がついたバークレイ氏は、
おさまるどころか、ダムが決壊したかのように、
とめどもなく罵詈雑言を浴びせかけました。
「まず、吸血鬼は紳士たれ!
ドラキュラも、ノスフェラトウも、
吸血鬼たるもの品があり、上流階級の気高さが漂っているものだ。
それがお前はどうだ。
髪はボサボサで、
歯もすっかり抜け落ちて、採血の注射器に頼らざるをえない有様。
ドレスコードも最悪だ。
老眼鏡はともかく、
薄汚れたモスグリーンのダウンジャケットは勘弁してほしい。
吸血鬼なら、寒さくらい我慢しろ。
たるんだ腹、
お尻の浮いたジーンズ、
安物のタバコ…。
どれもこれも、私のしゃくに触る。
吸血鬼というのはモンスターの中でも、
もっとも憧れられる存在なのだ。
お前には、その自覚がまったく見られない!」
次々と浴びせかけられる言葉に、
吸血鬼ブラッケンハイマーは涙目になりながら、
やっとの声で反論します。
「それは吸血鬼に対する偏見だ。
固定概念もはなはだしい。
私は、紳士たるもの優しくあれ、と思っている。
威圧的な服装で恐怖を与えるよりも、
もっと“親しみやすくフランクに”を心がけているのだ。
それに注射器もそうだ。
歯が抜けてしまったという理由もあるが、
相手に痛みを与えないよう、
無痛注射器で血をいただいている。
これほどまでに紳士的にふるまっているのに、
なぜそんなに私をいじめるのだ。」
ふりしぼって反論する吸血鬼に、
バークレイ氏は口撃の手をゆるめません。
「何も分かっちゃいないな。
観光資源に乏しいわが国においては、
“吸血鬼伝説”は、数少ない魅力のひとつだ。
“伝説”がかもしだす空気。
ミステリアスで、神秘的。
そんな“固定概念”を求めて、人は訪れてくるのだ。
それがどうだ、このありさまは。
お前が出てくるたびに、みんながっかりだ。
紳士どころか、ただの変質者だ。
噂が噂を呼んで、すっかり魅力は色あせていく。
観光客が減るのは、我々にとって命取りなんだ。
たのむから、気高くあってほしい。
昔のようにもう一度、
誇り高い吸血一族の輝きを取り戻してくれ。」
バークレイ氏の心の叫びが届いたのか、
気づけば吸血鬼の目に涙がこぼれていました。
そして、ふりしぼるように心のうちを吐き出しました。
「私がバカだった。
もう“吸血鬼なんて時代遅れ”だと思っていた。
だからなるべく人に迷惑をかけず、
ひっそり生きていこうと…。
私が求められているだなんて、これっぽっちも…。
だから…。だから…。」
感極まって泣きだした吸血鬼に、
バークレイ氏は、励ましのことばをかけようと近づきました。
「吸血紳士は、吸血紳士らしく。
誰にも媚びることはない。
誰もが“らしさ”を求めてはるばる訪れるのだ。
観光客の期待は“固定概念”なのだ。
それを裏切ることは…」
と、途中まで口にして、バークレイ氏はハッと息を飲みました。
「もしかして…」
もはや吸血鬼のことも眼中になく、
慌てて部屋を飛び出しました。
1階のロビー、フロント。
2階のレストラン。
3階の客室、廊下。
古城のバルコニーに、
闇につつまれた庭。
ホテルのすみからすみまで走り回り、
がく然としました。
つい今しがた、吸血鬼ブラッケンハイマーに浴びせたことば、
そのものが自分にも返ってきたのです。
ロビーの自販機。
猥雑な土産物コーナー。
カラフルでポップな、レストランのカーテン。
安っぽい花柄の、ビニール製テーブルクロス。
メーカーから支給されたお酒のポスター。
統一感のないしつらえ。
シャンデリアの代わりのLED照明。
「宿泊客の居心地のいい空間」のため改装に改装を重ね、
古城の何ともいえないおもむきを台無しにしてしまっていたのです。
「なんと…
他人のことはしっかり見えるのに、
自分のことは皆目わからないものだ…」
バークレイ氏はうなだれながら、
吸血鬼のいる3号室に戻ってきました。
「ホテルの経営がうまくいかない理由がわかった。
宿泊客が楽しみにしている“固定概念”を
私がつぶしてしまっていたのだ…」
…と顔を上げると、
そこには吸血鬼ブラッケンハイマーの姿はありませんでした。
■策謀
後日。
古城のおもむきを取り戻すため、
ホテルの改装工事をはじめました。
何日かたったある日、
まさかという所に、地下に通づる廊下を発見しました。
初めて開ける部屋のドア。
その奥には、歴代の城主たちの肖像画ががズラリと並んでいました。
その中に一つ。
どこかで見覚えのある顔が…。
なんと、
先の吸血紳士ブラッケンハイマーにそっくりではありませんか。
「もしや、あなたが…。」
心なしかブラッケンハイマーは、
得意げに「どや顔」で微笑んでいるように見えました。
もちろん、立派な紳士の姿で。
【解説・自戒の念をこめて】
ヨーロッパの古城ホテル。
ボクも一度は泊まってみたいものです。
でも、変に近代化されていたらガッカリですね。
少々快適さはガマンしても、
「古城」独特の雰囲気~ボクの固定概念~は、
じっくりと味わいたいものです。
バークレイ氏は宿泊者のニーズを考慮したり、
経営効率を考えて古城を改装しますが、
それが失敗だったようです。
宿泊客は「快適さ」を求めてやってくるのではなくて、
古城独自の「体験」を味わいに来るということを、
吸血紳士ブラッケンハイマーに気づかされます。
今日は「ブランド」のお話です。
「ブランド」というとどうしても
「長い歴史が築いてきた“信頼”」だと思ってしまいますが、
昨日誕生した企業でも「ブランディング」はできます。
新しい企業だからこそ「ブランディング」が必要かもしれません。
ブランディングの方法はいろいろありますが、
「体験」をデザインする、という方法はすぐにでもできそうです。
言い方は悪いかもしれませんが、
それはあらかじめ「固定概念」を作ることかもしれません。
たとえば、アップル社。
洗練されたテレビCM、
アップル・ストアのリアル店舗、
スタッフとのやりとり、
パッケージを開けるときの感動、
商品の使いごこち…。
すべて「体験」が、いい意味での「固定概念」となって、
アップル社のブランド像となっています。
ディズニーランドには、ディズニーランドの固定概念があります。
それを裏切ることは、ブランドの死を意味します。
コカ・コーラ社。
これは問題。
「ニューコーク事件」というのが1985年におこりました。
ペプシ社への対抗から、味を大幅に一新。
「さらにおいしくなりました」と
自信をもって世に送り出したのですが、
これに従来のコカ・コーラ・ファンが激怒し、
「勝手に味を変えられた。もう買わない。」と、
アメリカ全土で、不買運動がおこったそうです。
これは「固定概念」に対する裏切りですね(笑)。
こういった話はブランディングの一部的なことですが、
吸血鬼ブラッケンハイマーのお話を少しヒントに、
「体験」をデザインし、
いい意味での「固定概念」をつくっていくことが、
強いブランドづくりの一歩になるのではないでしょうか。
(完)
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