ノイズ・ハンター

デザイン・イソップ

■ムダ嫌い症候群

すみやかに結論だけ述べようか。

いや、それが「あんな大失敗」を招いたのだから、
ここはきちっと、
私の「無駄話」を聞いてもらわなければならない。
ほんの少し、お時間をちょうだいする。

私の几帳面ぶりたるや、
おそらく「ものさしの神様」さえも驚くであろう。
とにかく「ムダなもの」や「余計なもの」に
嫌悪感すらおぼえるのだ。

どれほど病的かって?
雑談、余談、脱線の多い人と話すとイライラする。
他人の家の、意味不明なこけしなどを処分したくなる。
人のつけるアクセサリーさえ、はぎ取りたくなる。

それだけならまだいい。
人のヘソを見ると、パテで埋めたくなる。
男の乳首を見ると、肌色で塗りつぶしたくなる。

一事が万事、そんな様子なので、
逆にムダなものを排除するときは、きわめて快感なのだ。
それゆえ、初めについた「庭師」という仕事は、
まさに私にとって天職だったといえよう。

ムダに茂った雑草を除去したり、
ムダに伸びた枝を剪定したり、
ムダに発生する害虫を駆除することで、
花の美しさや、樹木本来の美しさが際立ってくるのだから。

ただ…
それだけにとどめておけば良かったんだ。
きっと…

■ノイズ・ハンターの開発

結論を急ごうか…
いやいや、きちんとお話しておかなければ…。

私の「ムダ嫌い」は、日に日にエスカレートしてきた。
雑草だけにとどまらず、
世の中のすべての「ムダ」を排除したくなってきたのだ。

時間のムダ、
ムダな情報、
ムダ使い、
ムダ話…。
ムダ、ムダ、ムダ…。

可能な限り、世界中のムダを消去したい!

新型ロボット「ノイズ・ハンター」を開発したのは、
そんな私の熱い想いからである。

はじめは「家の中のいらないものを捨てる」という需要が多かった。
多くの人は、たいてい「無用なもの」に囲まれて暮らしている。

破砕しろ!

そう命じるとロボットは「ムヨウ・クラッシャー」機能を発揮。
不安そうなおももちの依頼人を前にして、
ロボットは表情ひとつ変えず「無用なもの」を次々とぶっ壊す。

すると依頼人は、瞬間的に気が動転するが、
ものの1分もすればたいてい、
スッキリした顔をしているものだ。

こうやってロボットのおかげで、
いや、私のおかげで、
日本中の家庭から「ムダなもの」や「不要なもの」が消えていく。
当然のごとく、シンプルでスタイリッシュな暮らしが実現するのだ。

■情報のムダの排除

結論を急ごうか…
いやいや、きちんとお話しておかなければ…。

かくして私は、ムダ狩りの第一人者として名を馳せたわけだが、
私の理想はこれだけではおさまらない。

次に目をつけたのは「情報のムダ」だ。
ほら、見渡してごらん。
世の中の、なんとムダな情報の多いことよ。
今あなたが目にしている私の話も、きっとムダだ。

そこでノイズ・ハンターに新たに加えた機能は、
「ムダノン・ウィルス」機能だ。
いうまでもなく、世のムダな情報を除去するものだ。
ロボットは躊躇なく、インターネットの世界に接続し、
ムダと思われる情報をウィルスで次々に遮断していく。

これのおかげで、
世界中の情報がずいぶんダイエットできた。
絞り込んでしまえば、
必要な情報なんて、スマホの1画面分で充分ことたりる。

人の感情を逆なでする「ことば」も空中分解し、
ギスギスした世の中が改善されてきた。

さらに革命的だったのが、
「雑音」の消滅機能「ノイズ・キラー」だ。
空気の振動をコントロールすることで、
世の中の雑音や、人のムダ話さえもカットできる。

実に静かで、心地よい世の中ではないか。

さらに「デンパ・カッター」機能によって、
世のムダの象徴である深夜放送や、笑えないバラエティー番組、
ええい、いっそのことラジオ放送さえ消してやった。

美しい世界。
シンプルで、ノイズのない世界。
すなわち、限りなく清らかで、汚れのない世界。

まさに私の理想とする風景だ。
必要なもの、必要な情報だけがそこに存在し、
余計なものなど、一切、そこにはない。
私たちは今、かくも美しい世界に生きているのだ。

世界中の人が、私に感謝すればよい。
そう思っていた…。
しかし、それがあんなことになるだなんて…。

■ノイズのない世界

結論を急ごうか…
いやいや、きちんとお話しておかなければ…。

ノイズのない世界。
ムダなものが一切ない世界。
それは昔、子どものころに図鑑などで目にした、
宇宙ステーションのような世界かもしれない。

「余計なものがない」というのは、
こうまで人の関係が希薄になるものだったのか。

■にんげんって…

いったいどうしたんだ。
人々の顔から、喜怒哀楽の感情が消え失せ、
会話もほとんどなくなってきた。

まるで宇宙服のマスクをつけた、
表情がまったくうかがえない、ドライな関係性。

どうしたんだ、ヤマダ。
笑ってくれ、コバヤシ。
私に何かつまらんことを言ってくれ、サトー。

みんな能面のようなたたずまい。
ただひたすら、仕事をするのみ。
誰も必要なこと以外、話してくれない。
私は、人から「感情」を奪ったつもりはない。

よし、ちょっと雑談を試みよう。

えっと…。

余計なものがないと、
余計な情報がないと、
会話のきっかけがない。

どうしよう…。

と悩んでいるところへ、
ロボットから「必要な情報」が届いた。
訃報だ。
友だちのスズキが、交通事故に遭った。
なんでも、車が近づく「音」にまったく気づかずに…。

ノイズのない世界。
私は何てことをしてしまったのだ!

■スイッチ・オン

ことのなりゆきを知っている私だけに残された「感情」。
悲嘆にくれた私は、
三日三晩苦しみ抜いて、ある決断をした。

そもそもこれが間違っていたのだが…。

ノイズを取り戻す機能を開発していればよかった。
なのに私が開発していた、もう一つのロボット機能は、
「カンジョー・イレイザー」。
悲しくてやりきれない気もちをなくしたい。
その一心だった。

スイッチ・オン。

そのとき私は、無感情になった。
ただ粛々と、自分の仕事をこなすのみ。
そこには人間的な「情」の要素など、いっさいない。
やがて「ムダ」を排除するための、
新たな機能を開発した。

「ムダビト・コロリ」。
それは、世の中の不必要な人を、処分する機能。

何のためらいもなく、何の恐れも抱かずに、
スイッチ・オン。

ロボット「ノイズハンター」が無表情に動き出した。

………以上が私の、陳述書です。
今では私も改心し、ほらご覧の通り、
ムダなこともこんなに書けるようになりました。
ですから、どうか慈悲あるお裁きを。
結論は急がずに、じっくり吟味してください。

【解説:自戒の念をこめて】

ゾッとします。
この「ノイズ・ハンター」ロボットは、
一体どれだけの人を「無用」と判断し、処分したのでしょう。

もしかして、大量殺人?
それとも、まったく一人も処分しなかった?
ボクは「無用な人」と判断されるのでしょうか。
みなさんなら、どう思いますか?

ボクたちはついつい、必要なもの、必要な情報以外は、
ノイズ(=雑多なもの、不必要なもの)として片付けてしまいます。

本当に「ノイズ」は、世の中にいらないものでしょうか?
もしかしたら「ノイズ」こそが、
「人の気持ち」を動かす原動力なのかもしれない…
それが、この物語を通じた、ボクの仮説です。

ボクが「ノイズ」に注目しているのは、
次の理由からです。

(1)コミュニケーションのスパイス

ボクたちは「本当に必要な情報」しか見ていないようで、
じつは無意識に「ノイズ」から、
いろいろな情報を受けているのかもしれません。

たとえばコミュニケーションに長けた人を見ていると、
ものすごく「雑談上手」です。
セミナーの上手な講師は、
必ず雑談から笑いをとり、みんなの関心を引きつけます。

対してボクは、コミュニケーションがちょっと苦手。
なぜなら、すぐに単刀直入なことを言いたがるから、
あんまり話が広がらないのです。

豊かなコミュニケーションは「雑」の巧みな活用。
そう思って間違いないでしょう。

(2)異質からの刺激

ボクは、デザインや企画のアイデアを出すとき、
まったく何もない空間よりも、
適度に「不要なもの」が散在している空間の方が、
発想が広がりやすく、いろんなアイデアが出てきます。

まったく関係のない、異質なものが、
ボクに固定概念をこわす刺激を与えてくれるのです。
逆にまったくノイズのない空間だと、
ある考えに固執してしまうことが多々あります。

また、無音の空間よりも、
BGMが適度に流れている方が、
誰かが適度にしゃべっている方が、
頭が活性しやすいですね。
あくまでも個人の感想ですが。

※逆に暗記や、集中して作業をこなすべきときは、
 気が散ってしまいますが。

(3)モチベーションへの作用

たとえば議事録なんかもそう。
「決まったこと、必要なこと」だけが記録されていると、
それを見る人にとって、
もう、口をはさむ余地がないように思え、
決定事項に従うほかない…。
そんな気分にさせられます。

それに対し、ラクガキのような議事録はどうでしょう?
一見、関係ないような余談や雑談、
発想の息切れ、モヤモヤ、対立意見などが、
とりとめもなく書いてある。

そんな議事録だと、
その決定事項に至った文脈も想像できるし、
「決まっていないこと」や「あやふやな点」なども推察できます。
もう、ツッコミどころ満載!
OK。じゃあ、こんなアイデアはどう?
なんて、ちょっぴり参加してみたくもなります。

(4)「ん?」がもたらす作用

たとえばオールド・ファンは、
CDのクリアな音よりも、雑音まじりのレコードの方が、
おもむき深く、心に染みやすいと言います。

CDよりもライブの方が気分が高揚するのは、
まさに観客と一緒につくる「ノイズ」の効用。

デザインの世界でも「引っかかり」という発想があり、
あまりにも情報が洗練されすぎていると、
すっと右から左へ流れてしまうけれども、
ちょっと「ん?」と思うと、
逆に心をつかみやすくなります。
…そんな面白さが、ノイズにはあります。

このように、ノイズというものは敬遠されがちですが、
実はコミュニケーションや、アイデア発想、情報伝達に、
ボクらの意識の外で、
さりげなく潤滑油になってくれているのかもしれません。

「ノイズ・ハンター」は、
よかれと思って洗練された社会を目指しましたが、
逆に、社会の思考停止を生んでしまいましたね。

デザインをはじめとしたコミュニケーション活動に、
ほんの少し「ノイズ」を取り入れてみてはいかがでしょうか。

(完)

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