ワクグミめがね

Gori note

■決められない男

「もう、ホントに優柔不断なんだから!」

またマイコラスに怒られた。
だって、しかたないだろ!…って言おうか、言わまいか、
もごもごしていると、「早く決めてよ!」とすぐにイライラされる。

おしなべて、こんな毎日。
オレは「決めごと」が苦手だ。

オレは、自分で言うのもなんだけど、
中2にしては、モテるんだ。
クラスの中でも、ルックスはそこそこイケてる方じゃないかな。

だから、女の子も選び放題。
たいてい、向こうから告ってくる。
でもそれがいけないんだ。
選択肢が多ければ多いほど、誰を選んだらいいか分からなくなる。

こうやってまた、
せっかくラブレターをもらったマイコラスにも嫌われちゃった。
マイコラスだけは気に入ってたんだけどなあ…。

ほんとにダメなんだよ、オレ。
考えることが多くなると、頭の中がこんがらがる。
オレ、顔はいいけど、頭が悪いんだな、そもそも。
ここさえ直せば、マイコラスともうまくやれるんだろうけどね。

■おせっかい娘

「そこがあんたのいい所なんだけどね」

出た。
まるメガネの、マルコ。
オレとは逆で、気さくで頭がいいんだけど、
顔がちょっと残念な、おせっかい系女子。
みんなはマルコビッチと呼んでいる。

「なんだよ、マルコビッチ。お前とはつきあわないぜ」
「あら、そう。そこだけは優柔不断じゃないのね」

少々ヒドイことを言っても、
こうやって笑って冗談を言う彼女は、器が大きい。
女にしておくのは、もったいないよ。

「でもあんたが悩んでるんなら、いいこと教えてあげるわ」

オレの優柔不断を直す?
そんなこと、できっこないよ。
いや…できるのかな…。

「これよ」
といって、四角いめがねを手渡された。

「何だよ、これ」
「ワクグミめがね、よ」

マルコビッチのお父さんはメガネ屋さんらしい。
それと同時に「発明家」でもあるという。
そんなお父さんが開発した「ワクグミめがね」。
なんでもこれをかけると、頭がスッキリ整理できるんだって。

ほんとかな?

「それにしてもダサいメガネだな」
「いやならいいのよ。別に無理にとは言わないわ」
「あ…いや…どうしようかな…」

■ワクグミめがね

さんざん迷った。
当然だろ、オレ、優柔不断なんだから。

とにかく、デザインがダサい。
これをかけると、オレの“ハンサム”は台無しだ。
でもマイコラスとつきあうためには、
自分の優柔不断や、頭の悪さは直さなければならない。

よし!思いきってかけてみよう。

すると、視界がまったく変わった。
今までオレを悩ませてきた「余計な情報」が目に入ってこなくなった。
それが幸い。
「考えるべきこと」がスッキリ見えてくる。

そうか。
「ワクグミめがね」って、
何かをハッキリ見るために、
余計な何かを見えなくするものなんだ。

ここからオレの快進撃がはじまった。

ややこしいこと、余計なこと、ムダなことを
「枠組み」の外側に排除することで、
大切なことが見え、選択肢が減り、決断力がでた。

こうなるとものごとの「理解」も早い。
テストの点もグングン上がる。
分析力ある秀才として、決断力あるリーダーとして…
やがてオレは「末はハカセか大臣か」とささやかれるようになった。

類は友を呼ぶ。
オレの周りの顔ぶれも変わった。
素晴らしき仲間たち。
オレの人生に「意味のある」、優秀な人材ばかりだ。
鼻たれのターボーも、ネクラのジャイも、
オレにとって無意味な奴らは「アウト・オブ・眼中」。
オレの未来は、きっと明るい。

オレは変わった。
ずいぶん自信がついた。
リベンジだ!
あらためて「今のオレ」で、
マイコラスに惚れ直しさせてやる。

■リベンジ

「ん~、ごめんなさい」

「え??」

…オレの聞きまちがいか?
だってこんなに“できる男”になったんだぜ。

「いや…なんか分かんないけど…前のあなたの方がよかったわ」

何を今さら。
ははあ~…ははあ~分かったぞ。
このメガネだろ。
そりゃそうだ、これのために「ハンサム」を捨てたんだからな。
ちぇ、女って面食いなんだから、ふふ。

「わかったよ、このメガネ、外してやるよ」
「そんなことじゃないのよ」
え???いったい何だっていうんだい!
ほんとうに女って生きものは理解できない。

■マルコビッチ、再び

途方にくれているオレに、
マルコビッチが声をかけた。
「ふふふ、すっかりふさぎこんでるわね」
「ち…ちがうよ…女が分からなくなったんだ」
「ワクグミめがねでも、“女心”は理解できなかったかな」

笑いごとではない。
はっきり言おう、オレは落ち込んでいる。
もう、どうすればいいのやら…。

「最近のあんたは、確かにかしこくなったわ」
「そりゃ、どうも」
「でもね、同時に“バカ”にもなった」
「なんだよ、オレをディスる気か?」
「ふりかえってごらんよ。
あんたは、ものごとを“決めよう、分かろう”として、いろんなものを除外したことを」
「その“余計なもの”がオレを悩ませてきたんだからな」

「でもそんな“余計なもの”と
一生懸命向き合ってきたのが、あんたよ。
今みたいに、人のことを差別しなかった。
人の他愛のない話も聞いてくれた。
いろんなムダなこと、楽しんでた。」

「でもバカだった」
「バカかもしれないけど、そのときの方が人間らしかったよ。
今はね、ものごとを切り分けすぎて人工知能みたいになってるわ」

「もうこのメガネ、やめとこうか」
「そうじゃない。
大切なことは“枠組み”の外側にもきちんと目を向けるべきよ。
でね、枠組みの外側の方が、案外おもしろい発想につながったりするものよ」
「枠組みの外側…か…」
「要はワクグミめがねの使い方よ。わたしだって、使いこなしてるんだから」

「おまえもワクグミめがねだったのか」

マルコビッチは、やさしい。
いっしょにいると何でも打ち明けられるし、
親身になってくれる。
オレ、ほんとは好きかもしれないぞ。
顔さえよければね。

まあ、ワクグミめがねをつけて、
ハンサムじゃなくなったオレが言うのも何だけど…。

…え?
ワクグミめがね?
もしかして…??


【解説:自戒の念をこめて】

もしかしたら、
ボクらは「ワクグミめがね」をかけているのかもしれません。

枠組みって、ものごとを理解したり、判断するのにとても便利です。
図解なんて言い換えれば「枠組みの技術」ですからね。

図解と言わずとも、人はいろんなものを「枠組み」で捉えています。
人をいくつかの「種類」に分けたり、
ものごとを「カテゴライズ」したり、ランクづけしたり。
「分ける」ということでものごとを理解したり、
判断しようとします。

焦点が絞られるから、
情報処理の負担が小さくなる。
それはそれで大きなメリットです。

でもシンプルにするゆえに、
気をつけたいことは、
そのために“何を排除したか”です。

「ワクグミめがね」は、
大切なことをハッキリ見えやすくするために、
余計な何かを見えなくするものです。

きっとボクらも「理解」の裏に、
排除している「何か」がある。

「枠組み」という固定概念や思い込みで、
何かを決めつけようとしている。

あるいは、ときに自分自身のつくった「枠組み」に縛られ、
にっちもさっちもいかなくなってしまっていたり。

いずれにしても「枠組み」はものごとを分かりやすくし、
判断の助けにもなります。
でもその反面「わかったつもり」になってしまうことも事実。

その特性をいかして、
マルコビッチのように「ワクグミめがね」を使いこなしたいものですね。

(完)

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