カミユー・アンロ『蛇を踏む』

Kana note

フランス生まれのカミーユ・アンロは、様々なメディアを使った今を生きるアーティスト。
哲学、天文学、人類学、博物学、情報学といった「知」と「創造」がテーマだそうで。
何やら、難しいニオイがプンプンする。
でも、感覚的にはギュギュッと心を掴まれてしまった。
美しさと怪しさ、カオス。
異次元の世界へあっという間にトリップしてしまう…クセになりそう。

草月流のいけばなに触発されたという作品〈革命家でありながら、花を愛することは可能か〉は、
「花に翻訳された本の図書館」ともいわれているシリーズで、一冊の本を軸にそれぞれの物語が生け花に表現されている。
(実際に草月流の協力で制作)

展覧会のタイトルでもある『蛇を踏む』は川上弘美の書物から。

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だらりとのびる花が、ほんとに蛇のようで…使われている花もトリカブトといった猛毒をもつものだったりと、
花材の植物学的特徴も本の内容に合わせているそう。
私は本を読んでいないけれど、その心地悪そうな嫌らしさがミステリアス。

そんな中、『舟を編む』は映画で見たぞ!(本じゃない)

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おお!なんとなく!
『舟を編む』は辞書をつくる編集部の物語で、言葉の複雑さと面白さを描いた作品。
たしか劇中「右を定義すると?」なんていう問いが出てきて、一緒になって考えたっけ。
日本語の言葉の複雑さが、松の尖った針状の葉とどこまでも伸びている枝ぶりに重なってみえたり。
本を言葉でなくイメージで咀嚼する、それをまた伝える、この循環、すばらしい省察。
読んだ本を花に翻訳してみること。
色んな人のイメージの咀嚼も見てみたい。
花をいける、飾る、という行為に新しい感覚をもらえた気分。

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そしてここ。

〈青い狐〉
作品の説明を公式WEBサイトより、一部、引用させてもらうと
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世界の秩序と多義性を空間全体を使って分析・構成した重層的なインスタレーション。
四面の壁には、自然、矛盾、理(ことわり)、連続性などに関わるドイツの哲学者ライプニッツの四つの原理がそれぞれ割り当てられ、
宇宙の生成や人間の成長のステージ、人類の文明の段階、四元素といった項目も加わって考察されています。
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え?なんて?
…となるけど、真っ青な部屋に一歩踏み入れれば、そこは宇宙か現実か!?
まさにアンロの思索を辿るような不思議な空間で、何が散りばめられているのかと、まんまと引き込まれる。
夢中で見ていたら、足下に蛇のおもちゃ…あ!『蛇を踏む』か!
しかけられてるなぁ。

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この写真のあたりはライプニッツでいうところの『連続律:ひろがり』…
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鶏と卵、花と果実、食欲(爪と鼻)、植物と動物、行動、物語、
楽園追放からのアダムとエヴァ、楽園が生み出すものとその歴史、ヒステリー
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…そうなんや…それはそうと(笑)、

たくさんの写真や、昔の電話やタイプライターのようなもの、
謎のオブジェやおもちゃ、ネクタイなんかも無造作に置かれている。
何があるのかと宝物探しの気分になってワクワク。
こうやってモノだらけの写真を振り返ってみると、スマホなどに代表される道具にあらゆる情報が集約されて、
姿も含めスマートな時代になったもんだ、と思ったり。(写真撮影OKなのもありがたい)
イラストを描いたりする身としては、昔の道具の絵になる佇まいの方が好きなんだけどなぁ。
とはいえ、モノに溢れたごちゃごちゃした生活は息苦しくもあるし、
モノと人の間にある「豊かさ」と「煩わしさ」の境界線にも興味が湧いてくる。
境界線と考えるより連続性で考えるのか?
持つ時代「と」持たない時代への連続性とか、、、
ん〜頭がこんがらがってきた。

ややこしそうな哲学が、なんで、こんなにも遊び心に満ちあふれた作品になるのか…
受容して、壊して、再構築、そしてユーモアと遊び心でもって表現へと昇華させる。
芸術の懐の深さに感服…。

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