JAZZが流れる古本屋

Kana note

家の近くに、他とはあきらかに違う古本屋がある。
さほど大きくない店内にはJAZZが流れていて、
入ってすぐのショーケースは、年代物の見るからに貴重そうな本が並んでいる。
黒い本棚に整然と並ぶ古本には凛とした佇まいも感じられて、期待が膨らむ。
きっと、ここの店主は本を愛している…はずだ(そうであってほしい)。

古本屋には時代の先端をいく本はないけれど
むしろ、じぶんが「今、面白そうだと感じること」に素直になれる場所かもしれない。
何が見つかるのか、わからない所がよい所。
欲しいと思って探しにいくなら、ネットでもいいし。
足を運ぶということにも意味がある。

あまたある本との出会いも、じぶんをつくる素材のひとつ。

昔、実家の近くに貸本屋があって、幼少期の頃は母に連れられて、
小学生になると一人で、とにかく毎日のように通っていた。
天井までぎっしり色んな本が並んでいて、圧巻だった。
もっぱら漫画ばっかり借りてたけど。
貸本屋のおじいちゃんは、それこそ漫画に出てきそうな頑固じじいで
行くと、なんだかんだ説教じみたことを言われるのでイヤだった。
でもおじいちゃんの奥さんは、これまた漫画に出てきそうな、やさしいおばあちゃんで大好きだった。
この二人が代わり番こで店番をしていて、私はおばあちゃんが店番のときを狙って行くのだけど
貸本屋の奥が二人の家だったので、おばあちゃんが店番だと思いきや、
おじいちゃんに交代してしまうことも多々あって、いつも「しまった…」と思っていた。

おじいちゃんは「漫画だっていいんだ、本を読むのは勉強になるんだ」と都度、言っていた。
いつも本を丁寧に磨いていて、傷がつかないように、汚れないようにと
全ての本に薄い透明のカバーがかけてあった。
本はいつもキレイに陳列されていて、漫画、小説、雑誌などわかりやすく分類されていた。
埃っぽさもなく清潔な雰囲気だった。
日当りもよかったので暗さもなかった。
おじいちゃんと話すのはちょっと面倒だったけど、毎日通っていたのは居心地がよかったせいかもしれない。
貸本屋の本はどれもキレイだったので、私が汚すととんでもなく怒られそうなのもあって、おのずと丁寧に読んだ。

あの頃は好きな作家の本だけじゃなく、冒険しまくっていた。
当たり外れが多々あって、はずれの時は、その日の夜にまた新しいのを借りに行ったり。
そのうちに、本も買える年頃になって貸本屋から足が遠のくと、本への冒険心が薄れてきて読むことも少なくなった。
私は本が好きじゃないのだろうなと思っていたので、なんとなく読書とは縁遠い生活をしていたけど
仕事をはじめると、知らないことが多すぎて再び読むことが増えた。
読みはじめると、やっぱり本はいいな、と思う。

で、今。
近くにそのJAZZが流れる古本屋を見つけて、少々気分が上がっている。
並べられた古本のセレクト。(小さな本屋は、セレクトこそ店の表情だ。)
在庫のない古本との一期一会に、よりいっそう真剣になる。
手の届きやすい価格だから冒険もしやすい。
JAZZをBGMに本を探す時間、面白そう!に出会う喜びは格別。
探すという行為そのものが、好奇心に火をつけているのだ。
結局、「好き」や「面白そう」は、外に探しにいくことで発見していくものなんだろうな。
内を見つめても、さほど見当たらない、ということ。
そういう意味でも、時代の「今」の流れから少しだけ離れることができる古本屋で、
じぶんだけの感覚を問いなおしてみることは、
世の中の「多くの考え」に犯されそうになったとき、駆け込む場所によいかもしれない。
どこか範囲を決めてしまっているじぶんの感覚を、いつでもカンタンに開くためにも。
私が私と出会う場所でもありそうだ。

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