三才ものさし

Gori note

■苦悩

あと一杯…。
あと一杯だけグイッと飲み干したら、屋上から飛び降りてやろう。

やつらが代わる代わる現れたのは、そう思った矢先のことだった。

はじめに現れたのは、黒づくめの男だ。

どこで俺の心を察したのだろう。
「つらいよね。わかる、わかる。俺から一杯おごるぜ。」
「失礼ですが、あなたは…?」
「ただの通りすがりの客だ。これも多少の縁。」
「何で俺にかまうんだ?」
「まぁ、私とよく似た境遇とお見受けしたもんで。」
「あなたに、俺の何がわかるんだ?」
「わかるともさ。
48年も生きてきて、これといった功績もなく、
かといって将来的な展望も夢もなく、
自分が生きている意味なんて、どこにもない。
…そう思ってるんだろう?」

あまりにも言い当てられていて、
俺はグウの音も出なかった。

なのに、俺はだんだん腹が立ってきた。
まるで俺をあざ笑うかのようなふるまいに。
あるいは、俺の無意味な人生に対してかもしれない。

俺が無視していると思ったのか、
黒ずくめの男がいつのまにか、スッと姿を消してしまった。

■白い男の持論

するとほどなくして、
全身白ずくめの男が俺の横に座った。
黒と白が入れ替わったかのように。

「考えても無駄だ。」

この男もまた、俺のことを見透かしたような口ぶりだ。
無視してやろうか。

「俺は人生を棒にふった…。そう言いたい気もちはよくわかる。」
「わかるんなら、放っておいてくれないか。」
俺は思わず、口答えしてしまった。

「まあ、一杯やりなよ。話なら聞くぜ。」
「俺をなぐさめても無駄だ。
なにしろ、取り返しのつかない人生を歩んできたんだから。」
「心配無用。なぐさめるつもりはない。
ただ私は、持論を言いたくて近づいたんだ。」

俺はカチンときた。
やつらは俺の苦悩を面白がっているんだ。

「未来は変えられる。過去は変えられない。
でも、過去の“意味”は変えられる…これが私の持論だ。」

俺は哲学の話なんて、これっぽっちも興味がない。
無言をつらぬいていると、やがて白い男も姿を消した。

■黒い男、ふたたび

いったいどういうことだ?
先ほど姿を消した黒い男が、また俺の隣にいる。

「いよいよその気になったか?」
「またお前か。」
「いっそ、ひと思いにいっちゃおうぜ。サヨナラしちゃいなよ。
取り返しのつかない過去に。
先の見えない未来に。
そして、無意味な“俺”に。」

俺の怒りは、最高潮に達した。
「だまれ、このカラス野郎!このブス!」
人間って、激高すると、わりに幼稚なことばが口をつくもんだ。

「やめたやめた!飛び降りるのはもうやめだ!
俺は生きる。生きて、お前を見返してやるぜ。」

このことばに黒づくめの男の顔に、
やや焦りの色がうかがえたのはなぜだろう。
「やめる?そこだ、お前の悪いところは。何でもかんでも中途半端。
きさまに死ぬ勇気なんてあるもんか。この臆病者!」
「よくも臆病者呼ばわりを。
いいか、生きるということは、勇気のいることなんだ。
つまり、俺は勇気があるんだ!」
「無駄な勇気だ。
なぜならきさまが生きることに意味はないからな。」

また俺は、グウの音も出なくなった。
心なしか、グラスを持つ手がふるえてきた。
そしてふと気づくと、黒い男はそこにはもういなかった。

俺の頭の中で「絶望」という文字が踊り出す。
たしかにその通りだ。
俺は48年を、無駄に生きてきた。
きっとこれからも無駄に過ごしていくにちがいない。

「そんなもの、意味がない。」
声にふりかえってみると、また白づくめの男だ。

■三歳ものさし

「バカバカしい。年齢なんて、ただの目盛りにすぎん。
肝心なのは、その“ものさし”を使って、
お前自身がどんな線を引くか、だ。」

この男の言うことは、ほんとに理解不能だ。

「私は“人間すべて三才説”という考え方をもっている。」
「人間すべて三才?」
「たとえば5歳の子も、20歳の若者も、90歳の老人も。
みんな“三才”として、年齢の線を引き変えるのだ。」

まったく意味が分からないので、無視してやろうかとも思った。
でもこの白男、あまりにも俺のことを知っているようすなので、
あながち無視もできなかった。

「お前の場合、1才は“空想期”だ。」

空想期…。たしかにそうかもしれない。
貧しく育った俺は、親におもちゃさえ買ってもらえなかった。
でもその分、俺の頭の中の「空想」で、いろんな遊びができた。
何かをおもちゃに見立てたり、風景を映画の世界に見立てたり。
今の俺も、人一倍そんな能力は秀でているのかも。

「そして2才は…“放浪期”だ。」

働くようになって、自分のお金が自由に使えるようになると、
俺は、いろんな刺激を受けた。
旅に出たり、夜の街を歩いたり、ライブに出かけたり。
とにかく見るもの、触れるもの、出会った人、
すべてが新鮮で、ワクワクしていた時代だ。

「3才は今、いうなれば“創造期”だ。」

何もかも新鮮に映る時代も、そう長くは続かなかった。
飽きた、といえばそうかもしれない。
価値観が変わった、ともいえる。
あるいは時代が変わったことも大きい。
ゆえに人生がつまらない…そう思っているのも事実だ。
だから俺は…。

はっ!

ちょっと待てよ。
世の中におもしろいものがないのなら、
この俺が「まだ見ぬ世界」を作り出せばいいんだ。
持ち前の「空想力」を活かして。
そして、それをなりわいにして…。
いろんな人に「楽しみ」を提案していけばいいんだ。

俺の“三才”の目標ができた。
生きる…俺は、生きる。
ありがとう、白づくめの男…。

ふと後ろをふりかえって見ると、
黒づくめの男と、白づくめの男が話していた。

「私の勝ちだな。」
白づくめの男が、得意げに言う。
「ちぇっ、わかったよ。今夜は俺のおごりだ。
ちくしょう!あと少しだったのに。」
黒づくめの男が、悔しげに言葉をもらすと、
2人はすっと姿を消した。

何だい!
死神が俺の死を賭けてやがったのかよ!
バカにしやがって…。

あるいは、もしかすると…、
これも俺の“空想”だったのかもしれない。

【解説:自戒の念を込めて】

今回のものがたりは、
一見、人生論のようなお話になりましたが、
ボクのいちばん伝えたかったのはそこではなく、
「“線引き”を変えることで“意味”が変わる」ということです。
きわめてドライで、デザイン寄りなお話なんです。

ボクたちは、どうしても人生に「意味」を求めたがります。
でも長い人生、一括りにしても、なかなか「意味」は見いだせません。
かといって「年齢」で区切っても、
なかなか「意味」を見いだすことは困難です。
白い男がいうように、「年齢」なんて、
ただのものさしの目盛りなんですね。

そこで現時点の人生を「3才」に線引きしてみることを、
白い男は奨めています。
この「人生三才論」、ボクが勝手に考えた概念ですが…(笑)。

いうなれば「線を引き直す」作業が、
自分の経験や考え方を再編集することにつながります。
ちなみに、この自殺願望男の「三才」は、ボクの話です(笑)。
みなさんもぜひ、「三才ものさし」にチャレンジしてみませんか?

やってみると「線の引き方」で、ずいぶん「意味」が違ってきます。
ですので、いろんな「線の引き方」をしてみると、
自分のいろんな側面が見えてきます。
もちろん、1年後、10年後、30年後…と、
自分が何歳になっても「三才」として、
線を引き直すと面白いかもしれません。

未来は、変えることができる。
過去は、変えることができない。
でも過去の「意味」は、変えることができる。

白い男のいうこのセリフは、ボクがよく思っていることです。
ボクの「根拠のない前向きさ」は、
ここに理由があるのかもしれませんね(笑)。

でも本当によく思うのは、
過去の意味付けを変えることで、未来も変わる。
そんな気が、いつもしています。

意味付けを変えて、新たな意味を創る。
これもひとつの「デザイン発想」なんです。

(完)

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