おこないの貯金箱

Gori note

■手がかり

はて…。

旅人は、深い森の中で立ち止まりました。
もう、たどりつけないのではあるまいか。

すでに10軒以上は立ち寄ったはずです。
でも「あのとき出会った、忘れられない味」とは、
どれも少し違っていました。

ちょうど1年前。 たまたま通りがかった、森の中の小さなお店。
見るからに熟練の(パティシエと呼んでもいいでしょう)、
小さな小さな老店主が提供してくれた、
これまた見るからに「じっくりていねいに作られた」バームクウヘン。
一口食べて広がる香ばしさと、 バターの豊かな風味、
ほの甘い味わいと、繊細な舌ざわり。

「こんなおいしいバームクウヘンは、今まで食べたことがない。」
しみじみ余韻をかみしめながら、お店を後にしました。

あの味わいをもう一度。
旅人は、どうしても忘れることができず、
一年たった今、再びこの森に足を踏み入れたのです。

しかし、どこを見ても全く同じ風景。
「手がかり」となるものは、何一つありません。
通りがかりの人に「こんな味」とたずねても、 よほど説明がヘタなのか、
たいていの人はきょとんとするばかり。
森の中のお店をしらみつぶしに一軒一軒あたってはいるものの、
あの時の感動の再現に至ることはありません。

もうあきらめようか… と途方にくれたその時、
鼻先をくすぐるように、甘く香ばしい香りが漂ってきました。
「香り」ほど、「あの時の感受性」を蘇らせてくれるものはありません。
これだ、確かに、まちがいない!
旅人は、香りに導かれるように、小さな扉を開きました。

すると、忘れかけていた記憶が、 色彩をおびて、鮮やかによみがえりました。

背が低く、しわくちゃな老店主。
森のみどりをきらきらと映す、よく冷えたコップ。
小鳥のさえずりとともに気持ちを癒す、G線上のマリア。
つやつやに磨かれた、マホガニー材のテーブル。
そして、あのバームクウヘン。

■おこないの貯金箱

「ごちそうさま…」 おなかも心も満たされた旅人は、
コップの水をくっと飲み干し、店主に話しかけました。

「いやぁ、ここまで来るのが大変でした。なかなか見つからなくて…。」
すると店主は、あたたかい笑顔で答えました。
「それはそれは、ご足労をおかけしました。」

「でもそれだけ、ここのバームクウヘンが忘れられないんです。」

「色んな方にそう言ってもらえます。ありがたや…。」

「他の人は、すんなりここに来れるんですか?」

「いや…みなさん、かなり迷われて…。」

「そうでしょうね、何せ“目印”がないんですから…。」

そう言いながら旅人は、 大きなかばんの中から、
「小人」が描かれた小さな箱を取り出しました。

「…これは何ですか?」

「“おこない貯金箱”です。ちょっと覗いてみますか?」

すすめられるがままに、 店主は貯金箱の口から中を覗き込みました。

「おや?何でしょう、これは…。」

貯金箱の中には、たくさんの「ことば」が、 風船のように浮かんでいました。

香ばしい香り…  
バターの豊かな風味…  
繊細な舌ざわり…  
やさしそうな老店主…  
森のみどりをきらきら映すコップ…  
G線上のマリア…  
小鳥のさえずり…  
マホガニー材のつや…  
おなかも心も満たされた気分…

「これらはね、“イメージ”です。」

「イメージ?」

旅人は説明しました。
この店を訪れたお客さんが体験したできごと。
バームクウヘンの味はもちろん、 店主の人柄、そこに流れるBGM、
お店のしつらえ、 ちょっとした会話や、焼き菓子の香り…。
そういうことがらがすべて「記憶のイメージ」として、
この貯金箱の中に貯められていくのだそうです。

店主はあまりよく意味が分かりませんでしたが、
せっかくのお客さんからの持ちかけですので、 断る理由もなく、
受け入れてみました。

■小人の“印”

「ここだ、ここだ。ここのバームクウヘン、最高なんだよ。」

ある日、またよく似たお客さんがやってきました。

「よくおいでくださいました。さぞかし迷われたことでしょう。」

「いえ、すぐに来れましたよ。何しろこの“小人の印”が目印なんで。」

店主は、ふと店の外に目をやりました。
あの時の旅人が置いていった「おこないの貯金箱」。
“小人の印”というのは、どうやらこれのことです。

このお客さんも、すこぶる大満足。
お店での“すてきな体験”を、 「おこないの貯金箱」に書き込んでいきます。

それからというもの…
“小人の印”を見たお客さんが、次々とお店を訪れました。
忙しくなった店主は、いやな顔ひとつせず、 一人一人にていねいに接します。

一体、お店に何がおこっているのでしょう?

店主はおそるおそる、貯金箱を覗いてみました。
するとそこには…、 今まで来てくれたお客さんの、
「ステキな体験」がイメージとして満ちあふれていました。

こだわりのバター…  
午後のしあわせなひととき…  
子どもたちの満面の笑顔…  
バームクウヘンを一口サイズに切るときの、お皿の音…  
恋人たちの甘いささやき…  
老店主のにこやかな対応…  
一緒に読んだ、小説の一節…  
窓の外を舞うチョウチョ…  
ゆっくり時を刻む、古い柱時計…

どうやらこの“小人の印”は、 お店さがしの目印になるばかりではなく、
お客さんが“すてきな体験”を書き込む拠りどころとして、
また“すてきな体験”を思い出す手がかりとして、
ふしぎな力を秘めたものであるようです。

■森の巨人のパン屋

それを横目で見ながら、 まったく不愉快だったのが、森の巨人のパン屋。
今までは森一番の売り上げを誇っていたのに、 日に日にお客さんの足が遠ざかっていくのです。

「どうやら、この“小人の印”だ。」

巨人は、ほぞをかむような思いで、 “小人の印”を見つめました。
「“おこないの貯金箱”、これさえ手に入れれば…。」

そして森じゅうを探しまわり、 「おこないの貯金箱」を作れる芸術家を見つけました。
「金に糸目はつけん。 “小人”よりももっと目立つ、そんな“目印”をつくってほしい。」

芸術家は巨人のお気に召すよう、 言われるがままに、せいいっぱい“目印”を考えました。 でも、巨人の要望はつのるばかり。

おいしい、安い、こだわりの材料、 北欧のイメージ、巨人、サンドイッチもあるよ…。

“目印”にしたいことを広げれば広げるほど、
“目印”の形は複雑になってきました。
でも、巨人は満足です。
何しろ“目印”の中に アピールポイントが山のように盛り込まれているのですから。

完成した“巨人の目印”入りの「おこないの貯金箱」。
意気揚々とお店の前に掲げ、 祈るような気持ちで、お客さんを待ちます。

パラパラと。
はじめの数日は、数えるほどしか客が来ないのは、
“小人のバームクウヘン”も同じこと…。

がまん、がまん、ここはがまん…。
きっと一週間後には、行列のできるパン屋に… と思えど、まったく反応がないばかりか、 ともすれば、お客さんが一人も来ない日もありました。 閑古鳥が鳴く…とは、このことです。 いったいどういうことなんでしょうか? 巨人はおそるおそる、貯金箱を覗いてみました。

するとそこには…
目を覆いたくなるような「ことば」に満ちあふれていました。

無愛想な店主…  
パサパサの食感…  
ごちゃごちゃ散らかった店内…  
レジ打ちの遅い対応…  
店の外のゴミ箱にあふれたゴミ…  
棚の間に見えるダンボール…  
切れかけた蛍光灯…

これは大変です。
何せ自分の「おこない」がイメージとして貯金されているわけですから。
一度きたお客さんは「巨人の目印」を見ただけで、
悪いイメージを思い出してしまうのです。

いや、何よりも複雑に広がった「目印」は、
もはや「目印」としての機能すらありません。
だって、この「目印」を覚えてください…ってのも、
お客さんの頭に負担をかけてしまっているのですから。

「そういうことか、よし“目印”を変えよう。」

こうして、うまくいかなければすぐ変更。
うまくいかなければ、また変更。
変更、変更をくりかえしながら、 ついに森の巨人のパン屋は、
人々の記憶から消し去られてしまいました。

一方、スタッフの増えた小人のバームクウヘン屋さんは…
“小人の印”が働く人の誇りとなり、
またお客さんの“幸せなひととき”の象徴として、
みんなで大切に大切に育てられました。

(完)

コメント

  1. こんにちは、これはコメントです。
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